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Wigの歴史

皆様こんにちは。広尾にある美容室HAIRSALON-Sです。今回は当店でも取り扱っている「Wig」の歴史を少しさかのぼってみたいと思います。




ヘアウィッグの歴史は古代エジプトにさかのぼります。

紀元前の時代から、エジプトのファラオや高位の人々は、ウィッグを身分や地位を示す象徴として使用していました。彼らのウィッグは、ナチュラルヘアや羊毛、植物繊維を組み合わせて製造され、さまざまな豪華な装飾や彩色が施されていました。これらのウィッグは、ファラオの治世を祝う儀式や特別な行事の際に着用され、彼らの権威と権力を象徴するものでした。


エジプト以外にも、古代ローマや古代ギリシャでもウィッグが使用されていました。ローマの高位の人々は、ウィッグを身分や地位の象徴として利用しました。一方、ギリシャでは、ウィッグは演劇や祭典の際に俳優やダンサーによって使用され、特定の役柄や神々を表現するために重要な役割を果たしました。


ヨーロッパでのブーム

17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパの貴族や王室の間でウィッグが大ブームを迎えました。当時のヨーロッパ社会では、貴族や高位の人々はウィッグを身分や地位を強調するために頻繁に使用しました。特にフランスの宮廷では、髪型とウィッグの装飾が非常に重要視され、洗練された髪型を維持するためのスタイリストやカツラ師たちが多く活躍していました。


この時代のウィッグは、通常は白いウィッグにパウダーをかけたものが主流でした。パウダーは主に小麦粉や滑石などが使用され、ウィッグを白く輝かせ、また虫対策としても機能しました。ウィッグのデザインも豪華さを追求し、特にフランス宮廷では高さがあり、複雑で軽妙な髪型が流行しました。


ヨーロッパでのウィッグのブームは、社会の上流階級から一般市民にも広まりました。一部の職業では、特定のウィッグを着用することが義務づけられたり、フォーマルな場に出席する際にはウィッグの着用が求められたりすることもありました。ただし、18世紀末にはウィッグの使用は次第に衰退していき、ファッションのトレンドが変化していく中で、ウィッグはより個人的なスタイルの要素となっていきました。


ヨーロッパの貴族によるウィッグの大ブームは、当時の社会・文化的な要因によって引き起こされました。


・フランス宮廷の影響: 17世紀から18世紀のヨーロッパにおいて、フランス宮廷は洗練された文化とファッションの中心地でした。ルイ14世(ヴェルサイユの太陽王)の宮廷では、髪型や服装が重要な社会的なステータスを示す手段として重視されており、ファッションリーダーとしての役割を果たしていました。フランス宮廷のウィッグの流行が他のヨーロッパの貴族層にも波及し、大ブームとして拡大していったのです。


・髪の脱色と白いウィッグの流行: 当時、貴族たちは髪の脱色を行うことが流行していました。自然な髪の色を変えるために化学薬品を使用することで、髪が傷むことがあったため、脱色の際に頭髪を隠す手段としてウィッグを利用することが増えました。また、パウダーをかけた白いウィッグは、貴族の優雅さと高級感を演出するのに効果的であったため、特にフランス宮廷を中心に流行しました。


・衛生と虫対策: 当時の衛生状態は現代よりも劣悪であり、頭髪に寄生虫がつくことがよくありました。ウィッグを使用することで、頭皮を隠し保護することができ、頭髪を常に清潔な状態に保つことができました。また、ウィッグにパウダーをかけることで虫対策としても機能しました。


・社会的・政治的な象徴: ウィッグは当時の社会において高位の人々や政治的リーダーの象徴としても機能しました。特に法廷や政府の場でウィッグを着用することが求められることがあり、社会的な地位を強調する手段としてウィッグの使用が一般化していきました。


これらの要因が重なり、ヨーロッパの貴族階級にウィッグの大ブームがおきたのです。当時のファッショントレンドや社会的な慣習によって、ウィッグは社会における重要なアクセサリーとなりました。


今回は18世紀までで終わりたいと思いますが、まさか紀元前からウィッグが存在していたことに驚きました。また機会があれば続きをまとめたいと思います。


HAIRSALON-Sは広尾にある美容室です。1席のみの完全プライベートサロンのため周りに気を遣わずゆっくりとご自分のお時間をお過ごしいただける空間を提供しております。お子様連れの方、髪や頭皮に悩みを持つ方、美容室が苦手な方にも安心してご来店いただいております。

ヘアデザインに加え育毛、オーダーメイドウィッグ、増毛エクステにも注力しております。


広尾で美容室をお探しの方はお気軽にご相談ください。



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